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創造-三村家 3/3

四国を制圧する間に、意外にも武田が織田家を滅亡寸前にまで追い込んでいて、予定が変わってきました。ここからの戦略は二つに一つ。
 一案、武田家と全面戦争
 二案、武田家と同盟を結び、西日本を制圧。しかるのちに、武田家と全面戦争
全国統一を目指すのであれば、二案も悪くはないのですが、これまで同盟を維持してきた毛利を攻撃するのは、どこか義に反する気がする。できれば毛利との同盟を維持したい。そう思うと、一案、すなわち、武田家との全面戦争を挑むことにしました。


四国に派遣していた部隊を戻す間に、武田家は織田家の残った最後の本城・高屋城をも征圧し、織田の残すは有岡城ただひとつ。これをみすごしていたら、武田家に織田家の優秀な武将を獲られてしまいます。畿内を抑えられてただでさえ不利なのに、さらに織田家の武将を取られたら相当な差になってしまいます。
 っということで、ハイエナみたいで気が引けますが、急いで近場の城から有岡城へ部隊を派遣し、織田家の武将を獲得しました。



武田家との開戦直前

武田家との開戦前夜。このとき、兵力を見ると武田家41万に対し、三村家は14万。実に3倍の戦力差があります。果たしてこの三倍差の戦力を覆すことはできるのか?まずは畿内五国(丹波、摂津、河内、山城、大和)の征圧に向け、山陰は丹後から、山陽は姫路城から、そして四国の部隊は和泉・岸和田城から攻めあがります。時に1564年1月、三村家、天下統一に向けた天王山の戦いです。


畿内へ侵攻し、丹波はすぐに落ちますが、さすが武田との戦いとなると、敵の防衛もかなりの数、っというかこっちより一部隊一部隊の兵数が多く、なかなか攻略がすすみません。しかし、幸い本願寺と足利が傍観してくれているため、徐々に相手の援軍の途絶えた隙をついて、まずは高屋城、つづいて本願寺の石山を落とします。

畿内征圧戦

その後、再び来る援軍をできるかぎり挟撃で撃退しつつ、少しずつ支城を征圧、そして1566年12月、侵攻開始から3年の月日をかけ、畿内征圧を達成しました。



しかし、これで武田に火がついたか、あるいは、武田の本拠に近づいたせいか、これまで守勢にまわっていた武田家が反撃に打ってきます。こちらも負けじと防衛をしつつ、さらに近江、伊賀、伊勢へと侵攻を開始。当初は畿内が疲弊していたため、戦力的に五分なところもありましたが、次第にこちらの兵力が上回るようになり、1568年7月にはこれら畿内近辺の征圧にも成功。



畿内近辺征圧

しかし、この時点でも兵力をみると、武田50万に対し、三村家は30万と意外やまだ劣勢。しかも、気づけば西では毛利が島津におされ、中国地方への侵攻を許してしまっています。
 っということで、西の島津対策用に武将を再配備しつつ、東の濃尾平野へ攻め入ります。途中なぜか鳥羽にいた武田信玄を捕縛、そのまま処断してやりました。濃尾平野は意外と手薄。おそらく後方が薄くなったためでしょう、畿内でのの戦闘と比べると順調に征圧が進み、そして1571年4月、駿府城まで攻め入ったところで、征夷大将軍になりました。



ゲームクリアー

すでに武田の抵抗は散発的。後は時間さえかければ天下統一も無理なく可能とはおもいましたが、いかんせん東西両面への進行は直轄地からの派兵・補給に面倒があります。なので、ここは惣無事令を発令し、ゲームクリアーとしました。


今作は敵の侵攻速度が速く、手間取っていると急速に相手方の勢力が大きくなるのが印象的でした。あとは、プレイヤーの敵同士が同盟を結び、援軍を出し合うために思いのほか手間どる。今回は中級でしたので、それでもごり押しで征圧できましたが、上級になるとこのあたりは工夫(侵攻速度と外交)しないと、厳しいかもしれません。このあたりのゲームバランスは良くできているかなぁ、っと。
 次回は上級、そしてより畿内から遠くて難度のあがる東北の大名でプレイしようと思い、最上家をはじめています。気が向いたら、また、プレイ記録でも残そうかと。。。
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