創造PK、島津上級 1

信長の野望・創造にPKをつけて、またプレイしています。

いきなり武将が26人もいる!!
PKの変更内容がよくわからないので、比較的難度の低い、そしてこれまで手をつけていなかった九州勢から島津家を選んで遊んでいます。設定難度は、まずは中級にしようかと思ったのですが、まぁ、島津だったら上級でもいけるだろうと強気の選択。ただ、シナリオは1551年家督相続と、中央がまだばらばらな状態を選ぶ弱気の選択。


島津家といえば、鬼島津こと、島津義弘。ゲーム内では屈指の戦闘力を誇ります。それ以外も武勇や政治の80台の武将が何名かいて、駒がそろってます。これまで私がプレイした三村や最上と比べれば、武将の層は潤沢。まぁ、もともとNPCがプレイしても、九州を征する島津ですから。


肝付だったか肘付だったかを倒した

ゲームを開始したらすぐに大隅国の肝付に侵攻。九州の名前には読み方のわからない地名や武将がいて、この肝付も見ない名前ですね。
 周りの城をみると、PKでは城の耐久度の上がっている城がいくつかあります。どうやら追加要素の改修で城の耐久度があげられるらしい。兵数の限られた最序盤ではちょっと面倒ですが、強攻も交えて落とします。

続いて、南肥後の相良家(読み方不明)、日向国の伊東家と順調に落としたところで、大友家と接します。ここまでで経過2年の1553年5月。



大友、龍造寺、大内

島津家の九州征圧のライバルといえば、大友家と龍造寺家。今回は加えて大内家がまだ威勢をきかせていました。この3家は組んだり争ったりで九州北部で牽制しあってます。位置的には、まずは大友家から落としたいところですが、ここで闇雲に大友家に侵攻すれば、きっと3家を同時に相手にすることになり、それほどの気力はなし。

っということで、大内家が熊本の阿蘇家に侵攻していることにかこつけて。島津家も阿蘇家にアタック。大内家の態度がこれで関心に変わったところで、外交工作をしかけて無事に大内家との同盟にかこつけました。



どうせなら、耳川でぶつかりたかった。

これで、当面の目標を大友家にしぼり、まずは日向国から駆逐。さらに府内館へと攻め入ります。大友家は龍造寺家からも援軍を呼んで、途中の要所・岡城で決戦に。ここでシステムから大合戦をしませんかーのお誘いをうけますが、わからないからパス、、、し、およそ半年かけて岡城を攻略しました。


これで大勢は決したようで。ろくな反撃のないまま府内館を包囲、征圧。その後、北九州の大友家の城は次々と陥落し、最後は村中城にて大友家は滅亡を迎えることとなりました。まぁ、殺してないけど。



大友家の村中城を攻略する際に、途中から龍造寺家の援軍がうざいもので。大友家、龍造寺家と順にいくつもりでしたが、予定を前倒しして龍造寺家へも侵攻開始。

沖田畷ってどこぞ。

龍造寺の肥前国を東と南の両面から侵攻すると、そこそこ抵抗してきますが、さすがに島津家にかなうべくもなく。残すところ、龍造寺家も残り支城2つのみ、、というところで大内家との同盟(2年+1年+6ヶ月で3年半続いていた)が期限切れ。さすがにすぐに交戦となることはなかろうとたかをくくっていたら、、期限切れと同時にこちらの秋月城に攻めてきた。


こちらの意図としては、大内家はすでに戦国伝・厳島の合戦が起きて衰退期。いずれ毛利に侵攻される運命。ならば、毛利が大内家を攻めた折にこっちからも大内を攻撃。そうして毛利の外交姿勢を関心として、毛利と同盟を結ぶ橋渡しになってもらおうかと、思っていたのですが、そう思い通りにはならないみたいで。仕掛けられたから反撃です。

 薩摩・大隅国の部隊を、ちょうどのどに引っかかった骨みたいに邪魔だった隈本城の征圧へ。日向、豊後の部隊を豊前へ、そしてそのほかもろもろは龍造寺を滅ぼしたあとで筑前へ。それこそ三倍返しくらいの勢いで大内領を蹂躙する薩摩隼人。
 いよいよ小倉を落とし、九州に残すはあとは立花山城。そして、関門海峡を渡って中国地方の大内領へいざっ、ってところで




織田より目だってしまったか。

反島津連合ができた。しかも中国の毛利と、四国の長宗我部が組むという。。いやぁ、このあとどっちから攻めようかと
思ってたら、先に手を組まれてしまいました。大内家も、まさか毛利と組むとは。なかなか恥も外聞もないやつめ。
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