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信長の野望、創造、新勢力6(中級):反織田連合結成

織田家は、かつて彼らの盟友であったはずの徳川家を滅亡させ、そして今、長年同盟関係を結んでいた武田家へも侵攻を開始している。このような、己の領土欲におぼれ、義を忘れた織田家を許していいはずがない!!今こそ、織田家の横暴を止めるべく、立ち上がるべき時である!!


反織田連合、結成


なーんて、ちょっとなりきって都合のいい理屈をつけて。いよいよ、バートン家は、織田家との決戦に入るのでした。

   

畿内を抑えた織田家の勢力は強力。それに対抗する反織田連合を結成するべく、これまでに工作で信頼を上げ、同盟を結んできた、最上家・伊達家・北条家・真田家・武田家・今川家、さらには、毛利家までを加えて。

包囲網

織田家包囲網を作りました。長宗我部家が織田家と同盟を組んでいたため、組み込めていないのは残念ですが、バートン家とは同盟関係にあるので、問題はありません。



勢力状況

長宗我部家が毛利に侵攻中なので、実質織田方と考えると、勢力はほぼ均衡。こちらの勢力が広がっていることを考えると、あるいは織田家がまだ優勢か。いずれにせよ、火蓋は切って落とされました。バートン家はその勢力を織田家に集中するのみ。


若狭からは北近江へ、そして丹後・丹波からは畿内へ。越後から岩代にかけての軍団にはかつて反バートン連合などを企てやがった佐竹家の攻略を指示します。


が、畿内の織田家の抵抗の頑強たるや・・・。
反織田連合を結成したのが、1630年4月、そこからの1年でようやく落とせたのが、黒井城と清水山城の支城2つのみ。その後、織田家からの総勢13万におよぶ反撃を耐え忍びつつ、なんとか、再度2方面から侵攻を開始して、なんとか、1632年7月、籾井城(どこそれ)と北近江の本城・小谷城の攻略にこぎつけました。



タイムリミット

3年間の連合期間で得られたのは、本城1つと、支城3っつのみ、、、と物足りない成果。やはり、勢力をまとめづらい地形というのはつらいものです。
 ただ、一方では、関東では軍団が佐竹家を滅亡させ、また、長宗我部が織田家との同盟が切れていたので連合に組み入れることに成功しました。
 着実に反織田連合は勢力を拡げ、織田家がじわじわと削れているのは間違いありません。このまま着実に削っていけば、いずれこちらが優位に立てるはずっ!
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