信長の野望、創造、戦国立志伝:立花道雪

戦国立志伝、2周目。2周目は上級で、代替わりのある武将でプレイしてみようと思い、

開始時点で大友家は、九州一

立花道雪を選びました。立花道雪から立花宗茂への代替わりをしたいので、シナリオもそれにあわせて1577年9月開始の手取川の戦いをセレクト。
 ちなみに立花宗茂は1582年に加わり、そして道雪は1585年に死ぬ、はず。

   


ゲーム開始の1577年では、宗茂もぎん千代もまだ子供なので、登場しない、、と思いきや。

ぎん千代きゅうさい

なんとぎん千代9歳がすでに登場w 実はこの時点ですでに道雪は家督をぎん千代に譲っているんですね。無茶するなぁ。




ゲーム開始で道雪はすでに城主で、立花城と岡城をもっています。いずれも区画が広くて優秀。主である大友宗麟からは、小倉城攻略を指示されますが、まずは内政ということで、街道の整備と区画の進出をしていると、、、なんと他の城主たちが小倉城を落としてしまいました。
 大友宗麟「よくやった!お前の尽力のおかげだ!!」って俺はなんもしてねーーー。そしてそのまま軍団長に任じられました。



軍団長になってからの攻略対象は松浦家、有馬家と弱小。

龍造寺家を囲うように攻略指令

ただ、陸路では間に龍造寺家がいるため、海路をたどって順調に落としていきます。そして次なる攻略対象は、龍造寺家。


ようやく相手に不足はない、、、ってところですが、いざ仕掛けると、主家もがんがん一緒に攻撃してくれてあっさりと攻略。さて次の攻略目標は南の島津か、あるいは東の毛利か。いずれにしても大友家にとって因縁の敵でして、俄然燃えてくるところで、宗麟からの指令は

どこ、ここ。

まさかの能島村上家、一瞬どこ?ってなりましたが、瀬戸内海に浮かぶ島のよう。これ、直接いくの、無理くね?


ってことで、主命とは関係なく島津家への侵攻を画策するのですが、立花家が島津家へ攻め入ってみても、主家は一緒に動いてくれません。たぶん、間に同盟国の阿蘇家がいるためかな。ええい、今、島津を討たなければ、後々厄介なことになるのに!!宗麟の馬鹿ぁ。もう、独立してやる!!!

わかりづらいけど、府内城が宗麟ごとついてきた。

って独立したら、あれれ、府内城も一緒に立花家についてきたぞ、、、ってここの城主は大友宗麟。なぜか大友家から独立したら、大友家の当主だった大友宗麟が独立についてきて、立花家の家臣になったんだ。よくわからない、よくわからない。とりあえず、これは冗談だから独立前にロード。



さて、島津家を立花家だけで攻略するのはまだ難しいので。しょうがなく、しばらく内政、内政ってなんと2年半。
すると、島津家がついに阿蘇家へ侵攻開始。そして阿蘇家の隈本城を落とすと大友領内にも攻め入ってきまして、ついに大友家vs島津家が勃発。まってたぜ。

全力でアタック

ここぞとばかりに全力で島津の手に落ちた熊本城に攻め入ります。島津家は結構手ごわい印象があったので不安でしたが。こちらには立花宗茂も加わっておりますし、内政でしっかり軍備を整えていたおかげか、苦戦することなく次々と島津の城を攻略。
 途中で能島村上家が毛利家に攻略されて。主命が西園寺家攻略に変わりましたがそんなこと気にしない。肥後から薩摩へと侵攻。
 途中で西園寺家が長宗我部家に攻略されて、主命が長宗我部家攻略に変わりましたが、やっぱり気にしない。薩摩からさらには大隅へと島津家を追い込みついに1584年9月。戦争開始からわずか2年で島津家を滅亡へと追い込んだのでした。


気づけば畿内では本能寺の変が起こり、織田家は滅び、その領地が羽柴家や柴田家に分割されていて

クリアーはほぼ手中か。

なんと、すでに大友家が全国1位でした。もちろん、畿内を抑えている羽柴家のほうがおそらく有利な状況なので。ここから毛利と長宗我部の領地を急いで制圧して、いかに羽柴家に優位な位置にたてるかが勝負。油断はなりません。
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