信長の野望、創造、戦国立志伝:立花道雪→立花宗茂3

道雪の跡をついだ立花宗茂。義父の遺志をつぎ、中国地方では対毛利・羽柴、四国からは長宗我部家の滅亡を目指します。

1587年2月。軍勢の補充が整ったところで、作戦開始。

同時侵攻

この作戦、実は毛利を倒す前に比熊城の羽柴家に攻撃するパターンも試したのですが、羽柴家の多量の援軍の前に苦戦を強いられたため、やはりまずは毛利から攻めることにしました。

   



チョークポイント

毛利家の月山富田城を落とすのも容易ではなく。っというのも毛利家の兵力自体は怖くないのですが、問題は羽柴家の援軍。一時は月山富田城を包囲しても、すぐに羽柴家の援軍によって包囲を崩されてしまいます。そこでいくつか試した結果、月山富田城の少し先にいくらかの部隊を置くと、援軍の動きが止まることが分かり。たぶん、防衛モードに入るのでしょうか。10000程度の抑えで、羽柴家の20000の兵の動きを止められることが判明。こいつを活用して、月山富田城を落とし。さらに四国のあまりの兵力で賀儀城を落として、1587年6月、毛利家滅亡。



対長宗我部

長宗我部家は、もう東土佐に隔離されているので、岡城と四国の軍勢で一気に攻めます。元親が浦戸城にいたので、そこはあえて触れずに、先に岡豊城を落とし、他の周囲の城も落とした後に、最後に浦戸城を落として、1587年8月、長宗我部家滅亡。


無事に毛利・長宗我部を落としたことで、主家の武将も補充され、ここまでは順調。長宗我部家の滅亡をみたところで大友宗麟が死亡して、主家の当主が義統に引き継がれました。主家の当主が変わったことがどう影響するのかは、よくわからない。けど、当主が変わろうと、ここまできたらあとは対羽柴のみ。、、、、対羽柴、、、、これは苦しい戦いになることが予想されます。


が、やるしかないっ。ってことで、再び戦力を整えなおして1588年5月。いよいよ本格的に対羽柴家へ中国・四国の両面から攻撃開始。

攻撃開始から、ここまで6ヶ月

が、時間がかる。しかも羽柴家の軍勢が多い!!立花家の領地が九州なため、主戦場まで、まず片道3ヶ月かかる、、。そして豊富な敵方の援軍。
 宗茂の高スペックを最大限に活用して敵の部隊を消していきますが、それでも時間がかかるかかる。途中、腰兵糧の補充をはさみつつ、なんとか中国地方で比熊城、四国で白地城を落としたのが、攻撃開始から7ヶ月後の、1589年2月ごろ。
 そのまま、もう1つずつくらい落とせないかと、あれこれ思索してみるのですが、、、羽柴方の大量の援軍を前に断念、、、。むしろこれ以上下手に消耗すると、カウンターでこちらが不利な状況にすらなりかねない。


っということで、ここでいったん体制を立て直そうとしたのですが、全軍を一気に帰還させると、羽柴方が追い討ちをかけてくる。ので、どの部隊をどこに残したら敵が追い討ちせずににらめっこ状態を維持できるか確認して。そうやって選んだいくつかの部隊を前線に残して、退却を開始。

ほとんど、変化なし

こうして1年半かかった第一次羽柴家戦は収束をみたのですが、ここまでして落とした城は、たった2つだけ。しかもその間にも羽柴家は東に勢力をどんどん延ばしていて。これはクリアは遠そう。ってか下手したら負けるかも、、。

スポンサーサイト

Comment

Comment Form

管理者にだけ表示を許可する

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)