信長の野望、創造、戦国立志伝:立花道雪→立花宗茂6

いよいよ畿内侵攻直前の勢力図


豊臣は東で最上・伊達に阻まれているモヨウ

この時点で勢力は、人口で大友家353万 vs 豊臣家361万、兵数で大友家119万 vs 豊臣家104万。ほぼ対等なところ。動かせるのは立花家の分のみですが、畿内に近い城はほとんど立花家のもの。おそらくですが、創造PKだと距離で直轄領に限界がありましたが、戦国立志伝ではその制約がないぶん、たぶんプレイヤーの動かせる兵隊・規模がずっと大きそう。



 
 

っというわけで、あとは力技で一気に押し込みます。時間がかかるととにかく兵糧がやばいので、およそ10万規模でがーっと攻めて、大合戦で相手を蹴散らして侵攻。敵が増援を出して来たら、こちらも追加しながら大合戦で再び蹴散らす。そんなことを4回繰り返したら、相手の援軍も散発的になったので、あとは押し込み押し込み。そんな感じでほぼ敵の兵力をつぶし終えた1598年5月のこと



辞世の句

まさかの秀吉、勝ち?逃げ?。せっかくここまで来たのに、、、。二条城を落とすまで生きててほしかった。なんか口惜しい、微妙な敗北感はなんだ・・・・。


っということですが。畿内侵攻は順調に進みまして、1598年11月。侵攻開始してほぼ1年の間に五畿と二条御所を制圧。惣無事令の準備がそろったのですが、

内緒話

大友家の主と、だれかわからない参謀の会話。ここまで、間違いなく最大の功労者は立花宗茂だと思うのですが!その宗茂抜きに戦争の終了を決める会議。。。これは、オカシイ。きっとこのまま畿内を立花家が制圧してしまっては、主家として立花家を抑えることができなくなってしっまうから、きっとこれ以上立花家の領地拡大を防ぐために、、、えーい、そのような命令など聞けるか!ど、ど、独立しちゃる!!!・・・なんて無駄な想像をしてみたり。



まぁ、何はともあれ。1598年11月。ゲーム開始からおよそ20年。ようやく惣無事令をもって、ゲームクリアとなりました。ちなみにエピローグに出てきたのは、一度も一緒に戦ったことのない龍造寺隆信でした。ここは高橋紹運か、ぎん千代に出てきてほしかったなぁ・・・・。



最後にざっくり年表まとめ

1577年9月、立花道雪でプレイを開始
1580年1月、龍造寺家滅亡
1582年12月、島津戦開始、
 1584年9月、島津家滅亡(九州制圧)。
1586年10月、立花道雪(なぜか柳川城で)死亡。宗茂跡を継ぐ。
1587年6月・8月、毛利・長宗我部家滅亡 ・・・およそ10年で折り返し地点

 1591年9月、ようやく豊臣家攻略の命令が出る
1596年7月、備中・四国を制圧
1598年11月、五畿、二条御所を制圧。惣無事令エンド。


こうしてみると、毛利・長宗我部を倒してから、備中攻略までが一番しんどかった。攻略目標が設定されてないと、領地も増えないし。島津家、豊臣家攻略と、攻略目標がちゃんと設定してくれないところが時間かかったなぁ。独立しようかと思ったよ。
 一方で、軍団長だと自家の城は全部直轄扱いになるので、終盤は扱える兵数がすさまじいことに。地方から畿内への侵攻は、創造PKより楽になった気がする。けど、内政もその分、面倒くさい・・・・。これはどれくらい直轄領を持ってるかにもよるか。


さて、ここまで家臣で2回やったので。次は大名でやろうかと思ってます。東からも(伊達)、西から(大友)もやったので、今度は畿内から。
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